セラピストにむけた情報発信



文献紹介6:脳は奇跡を起こす



2008年7月30日

今回紹介するのは,一言でいえば脳の可塑性に関する本です.この一年間,本の執筆や授業準備のおかげで,数多くの良書に巡り合うことができましたが,今回紹介する本が最も強烈に印象に残っています.


ノーマン・ドイジ.脳は奇跡を起こす.講談社インターナショナル.2008 


現代の認知科学・脳科学の世界では,脳は日常の経験を通して可塑的に変化するという考え方は,極めて一般的です.脳機能に関する数多くの研究が,脳の可塑性の考え方を支持しています.しかしながら,脳の可塑性の考え方が登場した当初は,脳は部位によって役割が厳然と決まっているという,脳の機能局在論が常識的な考え方でした.従って,経験によって脳がその役割を柔軟に変えていくという可塑性の発想は,非常にナンセンスな考えと受け取られることもありました.この本は,そのような歴史的な背景を含めて,脳の可塑性の理論が今日のようにポピュラーなった過程を,臨場感あふれる表現で解説してくれます.

本の中では,前庭感覚障害,幻肢,脳卒中方麻痺患者など,セラピストの皆様になじみの深いケースが取り上げられています.加えて,学習障害やトラウマ,悪習の克服に関する話題も紹介されており,脳の可塑性が人間の問題全般に関わる重要なキーワードであることを示しています.特に悪習の克服の問題は,脳の可塑性が“失われた機能を再獲得する”だけでなく,“身についてしまった悪しき習慣を忘れる”ためにも有用であることを物語っています.

私がこの本に深く感銘を受けたのは,脳障害に苦しむ患者が,脳の可塑性を利用した治療により,その人生を劇的に改善したことを,言葉巧みに描写している点です.著者は精神科医として,様々な問題に苦しむ患者に接しています.本では,脳の可塑性がこれらの患者に希望の光をもたらした事例が紹介されています.また著者は研究者の視点から,先駆的に脳の可塑性を患者の治療に応用する上でたちはだかった,幾多の困難の物語も紹介しています.さながら,NHKのプロジェクトXを見るような感覚で,第1線で活躍する研究者の様子を知ることができます.日々患者さんと向き合うセラピストの皆様や研究を志す若い学生さんの双方に,多くのメッセージを伝えている良書です.

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